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会報誌  2021年3月号

里山を楽しむ  会長代行 K.K


今コロナ禍の最中で会企画の山行が出来ず、仲間と顔を合わせる機会が遠のいています。そんな中、私は家の傍にある畑で過ごす時間が楽しみです。そこはもともと母の実家が生業として営んでいた畑のほんの一部です。周囲は世代が変わり耕作放棄地になり、竹林になってしまい当然イノシシの住みかになって、だんだん畑だった石垣は崩されています。祖父たちが先祖から受け継いできた畑と、きれいに積み上げてあった野面の石垣、そこで農作業をしていた祖父や叔父さんの姿を思い出すと、時代の流れとは言え寂しい限りです。里山の周辺はどこも似たような風景になっています。私はイノシシの侵入を防ぐネットを張ってその中で、菜園づくりのまねごとをしています。

近頃、梅の花が咲き始め、メジロやヒヨドリが集団で来て賑やかです。お湯を沸かし生姜湯をすすりながら、山のことなど考えるひと時になっています。先日は良い天気に誘われて、近くの山を歩いたらなんと、大きな倒木にシイタケを見つけてワクワク、びっくりでした。そこは木漏れ日のさす林で、車のない時代は隣の村へ行き来する生活の道だったのです。私はこのルートが気に入って、今まで何度か歩いたのですが初めて事でした。

ゆっくり歩く里山の道もまたいいなーと思った一日でした。

少しでしたがシメジやキクラゲもありました。味はバターで焼いてステーキにして食べたらおいしかったよ。     シメジもあったのですね。天然のキノコの味はどうでしたか?

 214 七高山巡り

  豊前坊と彦山   企画部 M.R

 長崎七高山の内、二座が鎮座しているのが豊前坊と彦山です。豊前坊は元々飯盛山と呼んでいましたが江戸時代初期に炉粕町の本覚寺日煕坊覚澤が山頂に豊前坊を勧請してこの名を付けたそうです。

 この山は鐘状火山の名残で飯を盛ったような山容が特徴の山で山自体が御神体のため信者の方からは七高山巡り時は登らないようにと強い要請があっています。

  地元の言い伝えでは、昔々巨体の神様が天草灘に立って海底から巨岩を二個拾い上げ一つはこの山に置き、他の一つは甑岩に置いたという伝承が残っています。

この神社の本殿近くには蛤石がありこの石を触って体の悪いところを撫でると良くなるそうです、本殿脇の岸壁には藤の古木があり開花の時期は見応えがあります。また昭和初期の大相撲界で活躍した関脇両国の力試し石もあります。

 彦山は長崎甚左衛門が治めていた時代は館が有った桜馬場中学校付近から見ると山容は優しく雲がかかると眉のように見えたので眉山と呼びました。

 江戸時代の初期の元和元年(1615)私達が良く登る豊前国の英彦山大権現を勧奨して祀ったので彦山と呼ぶようになりました。この山にはほかにも呼び名が有り、鍋山・・・山容が鍋を伏せた形をしていると言うことで鍋山とも呼びまた中国人の人々は我眉山と呼びました、中国の四川省定府県の南に有る山 (3500)で李白が詠んだ詩で「我眉山の月」が有りますが共に月の美しい山なので我眉山と呼ぶようになりました。

また日本が開国すると大浦の居留地に住み着いたドイツ人が本国の首相ビスマルクの鉄兜に似ていることからビスマルク山と呼んだそうです。山頂付近には「長崎歩こう会」が200会登山を記念した石碑が有ります。又この山に出る月は有名で長崎奉行の役人、太田直次郎(蜀山人)もこの月に感激し、わいたちも、皆出て見ろ、今宵こそ、彦山の月はよかバイ、長崎の山から出づる月はよか、こんげんよか月はえっとなかばい

と詠んでいます。

  但しこの山は山容に似ず暴れ山で何度も水害のもとと成り享保6年(1720)、文化7年(1810)大正12年彦山の稜線から水が噴き出し大洪水を起こしたと長崎市史に記載してあります。

 

芽吹きの春を待ち望んでお庭キャンプ準備開始   

                       自然保護部 H.S

一昨年定年退職した奥様と日本で開催されるオリンピックの年にキャンプしながら日本一周とメインに考えていた北海道周遊の旅を計画していました。

 ところがコロナ禍で自粛生活する様になって一年が過ぎ去ろうとしています。あの頃から新しい生活様式って言葉を聞く様になって、こういうことを言うのかなーって最近思うようになりました!

 山にも行けず人とのコミュニケーションもままならない今の状況を有意義に過ごす為に芽吹きの春に向けてテント泊と登山のセットをイメージしながら準備を始めました!

  先ずは電源を確保する為に手に入れた120W出力のソーラーパネルと最大500W出力のポータブル電源をためしました。え~65Wしか出力しない…設置条件とかお天気次第だし…まぁこんなものでしょう と自分なりに納得する。(写真はソーラーパネル

 次にテント泊し山の頂を目指してた頃を思い出して袋に押し込んだままにしていたソロ用テントを広げてみました。若干の張り裂けた部分と石ころで裂けた穴の補修材を手に入れ、防水スプレーを施して雨の日に一昼夜過ごしてみました。若干のしみ込み跡が見られたテントも補修効果の確認が出来た!おぅ~これは喜ばしい事だ。お庭キャンプって結構楽しい~!新たな発見です。

 暗闇のテントの中でふと目が覚め現役時代出張で全国行脚していた頃聴いていたジェットストリームを第3世代の古~いiPadを持ち出してスタンレーのスキットルに入れたウィスキーをマーライオンピューターに注いでグィっと喉の奥に一気に流しこむ…

カァーっと熱い感触が男の浪漫に一層拍車をかけて至福のひと時を楽しむ!何と贅沢なお庭テント泊なんでしょう…早く来い来い芽吹きの春ロマン!

 クラブの皆さんと一緒に一日も早く山に登りたいです。(写真は男のロマンが詰まったテントの中

 

三度目の正直 発心山&グライダー   山企画部 N.M


大分方面へ高速道路で向かう途中、鳥栖を過ぎた辺りから右手に見える山並みがいつも気になっていまた。それが今回の「発心山」と「グライダー山」を含む「耳納連山」です。2度の中止にも負けず3度目の企画で、昨年12月にやっと登ることができました。

  登山道はそこそこの急登あり、山城跡の発心山山頂でお昼を食べて、次に到着したグライダー山の山頂では筑後平野の眺めを堪能しました。


 Gメン75?と見まがうばかりのお仲間です

  ちょっと古い?か・な・・・・

そして「あの山はなんと言う名前で、登る事ができるのだろうか」と思っていた場所に自分の足で登り、今までと逆の景色を見るのはなんと爽快な事かと思いました。だから山は辞められないのです!(私だけ?)

 下山後は、旧日田街道の草野宿の姿を残すという「草野の町並み」を散策し、「旧草野銀行」の建物を利用した資料館で歴史のお勉強をして帰路につきました。

  今回の山は、リーダーお薦めの山行であることが良くわかりました。また、耳納連山の他の山にもいつか登りたいと思います。